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自他共に心ゆたかな社会に向けて  浄土真宗本願寺派 恵 光 寺

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〒581-0834 大阪府八尾市萱振町4-1

歴史・境内・記録

 歴史

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恵光寺建立
恵光寺は、蓮如上人の河内布教をご縁とし、蓮淳法師(蓮如上人第6男)によって建立されました。建立は、1470年(文明2年)とも1469〜89年(文明年間)とも1496年(明応5年)ともいわれています。恵光寺では1470年に寺院の礎が築かれたとしています。

河内一向一揆と恵光寺
織田信長と本願寺との戦端がひらかれたのは1570年(元亀1)のことでした。それから4年後の1574年(天正2)6月に大坂石山本願寺攻めが始まりました。この時、萱振の門徒衆は石山本願寺方に加勢し、石山本願寺からの撤退を拒否したため、1580年(天正8)8月に萱振恵光寺は火を放たれ破壊されました。そして同年8月には石山本願寺が炎上しました。恵光寺は河内一円の門徒衆を指揮して兵糧を集めて本願寺に忠誠を尽くしました。特に恵光寺の第四世良慧法師は1580(天正8)9月26日、藤ノ森において27歳の若さで戦死しています。

東西分裂
河内一円と大和に百ヶ寺の末寺を擁した恵光寺ですが、1685年(貞享2)諸々の事情あって(一説には久宝寺御坊顕証寺寂淳法師との宝物争いによる)当時の住職の寂永法師は前住職・准良法師と共に恵光寺を退去。その後、摂津国平野郡来春寺を改め大徳山慧光寺と号し入寺しました。またこのとき、萱振恵光寺にあったほとんどの寺宝が平野に渡りました。 無住寺院となった萱振御坊恵光寺は以後衰退しましたが、懸所(別院)として伽藍や境内は残されました。江戸末期には新しく住職が入寺し、別院制度は解かれました。また明治期には本願寺より別格寺の寺格を受けました。

本堂消失・落慶 (右上の写真は前本堂)
1971年(昭和51)6月23日昼時、恵光寺本堂が320年の歴史に幕を閉じました。屋根裏からの出火により、本堂や大玄関、庫裏の一部が全焼したのです。この時、御本尊は当時の住職(淳信法師)により担ぎ出され難を逃れましたが、親鸞聖人真向き御絵像、聖徳太子六歳御像、蓮如上人御絵像などが灰塵に帰しました。また、消失に際して本願寺勝如上人よりご消息を賜り、全国の門信徒の方々のご協力により、消失から3年後の昭和54年、勝如上人ご親修による落慶法要がつとまりました。

歴代住職
初代 ― 「蓮淳」蓮如上人六男。
2世 ― 「実慧」蓮淳の二男。
3世 ― 「慶超」実慧の三男。蓮淳の孫。
4世 ― 「良慧」長島御坊・証慧の二男。藤森で戦死。
5世 ― 「良超」良慧の長男。恵光寺再興の業を終える。
6世 ― 「准良」准如上人の八男。
7世 ― 「寂永」准良の長男。萱振・恵光寺を出て平野・慧光寺(大派)を開く。
      以後、萱振・恵光寺は懸所(別院・輪番制)となる。
8世 ― 「本覚」本如上人の甥。大谷本廟連枝谷に墓地あり。
9世 ― 「広円」本覚の長男。恵光寺を出る(桑名へ隠退)。
10世 ― 「峯旭」明如上人の命を受け八尾・光蓮寺より入寺。恵光寺再興の行を成す。
11世 ― 「淳信」峯旭の甥。スカウト活動始まる。本堂焼失、再建。
12世 ― 「至成」本願寺派司教。相愛大学名誉教授。
13世 ― 「真成」国際文化学博士。弟「至善」副住職。 


 境内・伝承

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恵光寺境内
本堂、山門、鐘楼、手水舎、庫裏が建ち並んでいます。本堂と庫裏は1979年に再建されたもので、手水舎は2011年に再建されました。また山門と鐘楼はそれぞれ明治時代、大正時代に建てられたものです。
 現在も境内では、スカウト活動(ボーイスカウト八尾第一団)や盆おどり、また子供たちの遊ぶ姿がみられます。

伝承
@ 境内入口の柳は、蓮如上人お手植えの柳と伝わりその昔恵光寺は「柳の御坊」とも呼ばれました。現在の柳は四代目です。また明治期まで境内には蓮如上人が植えられた「蓮如松」がありましたが枯れてしまいました。
A 恵光寺から南へ徒歩3分のところにある橋は、昔「念仏橋」と呼ばれていました。恵光寺におまいりする参拝者が念仏を口ずさんでいたことからそのように言われました。
B 「牛の毛の数は読めても萱振御坊の門徒の数は読めぬ」と言われるほど、恵光寺の門徒は多かったことが寺史に登場します。
C 昔、村中では「大阪から帰る時は恵光寺の屋根を目印に」と言われたようです。今のようなビルやマンションが辺りには存在せず、空気も澄んでいた情景が
浮かびます。



近年の記録

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2015年11月
祝20周年 恵光寺文化講座記念大会

第20回目の恵光寺文化講座記念大会を開催しました。
記念公演として劇団音芽によるミュージカル「筆状」を上演いただきました。




2015年10月
真宗木辺派ご門主 ご親教

木辺派のご門主(木邊円慈猊下)にお越しいただき、ご親教(ご法話)をいただきました。また当日は、親鸞聖人真向きの御絵像を奉献しました。





2013年3月
相撲部屋の受け入れ

大相撲大阪場所にともない、「式秀部屋(式守秀五郎親方・元北桜関)」が恵光寺を宿舎として1ヶ月半滞在しました。その間、境内に土俵が造られ、ファンや参拝者でにぎわいました。




2011年3月26日、27日
第13世 住職継職奉告法要

2日間にわたって、親鸞聖人750回大遠忌法要と住職継職法要をおこないました。両日合わせて500人の参拝者が集いました。







2009年8月13日
盆おどりに 河内家菊水丸師匠

毎年8月13日に境内でおこなわれる「慧灯大師 盆おどり」に河内家菊水丸師匠がお越しになりました。以後毎年、8月13日の盆おどりでは音頭をとっていただいています。





2006年9月23日
茶道 速水流お家元による献茶式

第11回恵光寺文化講座記念大会に、茶道速水流お家元・速水宗樂宗匠がお越しになりました。献茶式と記念講演を執りおこなわれました。また恵光寺では、速水流若宗匠によるお抹茶のお稽古をおこなっています(月2回程度)。




2005年9月24日
桂雀々師匠による落語

第10回恵光寺文化講座記念大会に、桂米朝事務所より桂雀々師匠がおこしになりました。堂内が笑いにつつまれました。






2005年5月22日
准良法師300回忌法要

本願寺第12代准如上人の八男、准良法師(じゅんりょう)は、京都西本願寺から恵光寺にお越しになり第6世住職となられました。准良法師の300回忌をつとめ、またこれを機縁として毎年5月にさつき献花法要がつとまります。


information

萱振御坊 恵光寺

〒581-0834
大阪府八尾市萱振町4-1
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